厚狭高校は、明治6年、毛利勅子(もうりときこ)氏によって、創立された「船木女児小学」を前身とする学校です。
「船木女児小学」は女学校としては日本で3番目に古い学校で、毛利校長は日本初の女性校長といわれています。その後、学校は、船木女学校→徳基学舎→徳基高等女学校→山口県立厚狭高等学校と変遷していきました。
時代が江戸から明治に移り変わった動乱の時代(明治維新・文明開化の時代 )に「日本の近代化のためには教育が大切」と感じて、この山陽の地にいち早く女子教育のための学校を設立された毛利先生の理想と気概に敬服せざるをえません。
毛利勅子先生の思いは、「学ぶ子のすすむさとりにひかれつつ、惜しき年はも知らで越へけり」という歌に表れています。
先生は、明治12年2月2日、60年の生涯を終えられました。
厚狭高校の沿革
●『沿革写真小史 厚狭高 百拾年のあゆみ』
発行:山口県立厚狭高等学校創立110周年記念事業推進協議会
編集:沿革写真小史「百拾年のあゆみ」編集委員会
校歌・・・・・・・・・・2
発刊に寄せて・・・・・・3
創立船木女児小学時代・・6
徳基学舎時代・・・・・・7
公立徳基高女時代・・・・8
郡立・県立移管時代・・・9
徳基高女厚狭へ移転・・・10
県立徳基高女時代・・・・11
県立厚狭高女時代・・・・13
戦時下の様相(1)・・・15
県立厚狭中学校・・・・・16
戦時下の様相(2)・・・18
新制高校として・・・・・19
県立厚狭高等学校(統合)・20
分校の消長・・・・・・・・22
夜間定時制・・・・・・・・23
学校生活・・・・・・・・・24
創立85周年・・・・・・・・28
校舎改築・・・・・・・・・・30
山口県国体弓道会場・・・・・34
部活動・・・・・・・・・・・35
時の流れ・・・・・・・・・・38
現在の校舎・・・・・・・・・42
沿革・・・・・・・・・・・・46
あとがき・・・・・・・・・・48